- 2003/3/30 「物理学と神」 池内了 集英社新書
- 自然の法則は「なぜそのようになっているのか?」。そもそも科学とは「そうなっていることを証明する」ものであって「なぜそうなるか」を解き明かそうとするものではない。
「そうなっている」のは「神がそうした」のである。つまり、自然科学とは神の存在証明の作業であった。ニュートンの物理学は神の助けがなくても「物質の運動」を記述することを可能にしたが、
定常的宇宙の原初の姿(究極的原因)を用意したはずの「神」の存在を否定したわけではなかった。量子論の発見により「決定論」とはいえ「確率的に」という形容詞がつくようになった物理学が想定する、
膨張する宇宙においても、最初の一撃は「神」に頼らざるを得なかった。つまり「静かに見守るだけの象徴としての神」や「サイコロ遊びをする博打好きの神」として「神」はその姿を変容しながら、
物理学の発展を見守っているのである。
- 2003/3/24 「人質交渉人」 Rブルッサール 草思社
- 『一介のお巡りからたたき上げ、37年の長きにわたって、現場にこだわりつづけたパリ警視庁の名物刑事の回想録。』???
副題『ブルッサール警視回想録』のとおり、なんて訳者あとがきに書かれたって、じゃぁ本題に魅かれて読んでしまった私はどうなるんだぁ!と叫んでみても後の祭り。
あとがきを読むまで、きっと映画「交渉人」のような、息詰まる駆け引きの応酬が、どこかで展開されるに違いないと、信じて読み進めてしまった自分を哀れむ以外にありません。
まあしかし、日本赤軍のハーグ仏大使館占拠事件や、歴史に残る大物・メスリーヌとの名勝負など、それなりに楽しめたと納得しておくか。
- 2003/3/21 「陰陽師」 荒俣宏 集英社新書
- 「陰陽師」といえば、夢枕獏原作の映画をきっかけに一大ブームの感があるが、あちらを「ゲテ物」とすれば、こちらは「帝都物語」でそれ以前に一大ブームを巻き起こした、博覧強記の怪人・荒俣宏による「本格物」。
聖と俗とのまじわるところに立ち、貴人に成り代わり「穢れ」を祓うという本来の役割から、政の祭を司るという「聖」なる部分と、遊行の民が担わされるエンターテインメントな「俗」なる部分への二極分解。
そして、宗家土御門公認の「陰陽師」という形式が完全に廃止された現在、「俗」なる部分として民間に出て行った、或いは民間習俗を吸収していった「流れ」が今なお地方に息づいている。
そして、そんな「安倍晴明の末裔たち」に、会いに行ってしまうのだ。荒俣という人は・・・。それで、これがまた、普通の田舎のおっさんだったりするんだよね。
- 2003/3/17 「英語でスパイ大作戦」 山田真美 幻冬舎
- また幻冬舎の宣伝文句にだまされて・・・などと言うと言いすぎかもしれませんが、
<これほど楽しみながら自然に英語が身につく本は初めてです。すばらしい!−菊川怜(女優)>
なんて、この本を読んで本当にそう感じたのだとすれば、その「感動力」は驚嘆ものというべきです。
英米人以外の人(つまり母国語が英語でない人)と意思の疎通を図るには「中学1年生の英語」程度で必要充分である(ただしフランス人を除く)
むしろそれ以上の「文法知識」などは邪魔になるということは、一度経験してみれば(つまり話してみれば)誰だってわかることです。(しつこいようですがフランス人は除く)
というわけで、この本を読んでの唯一の収穫は、英語の駄洒落を覚えたことでありました。
Why is 6 afraid of 7 ? Because 7 8 9 ! (seven ate nine.)
どうして六助は七子を怖がってるの?だって九兵衛を食べちゃったんだもの!
- 2003/3/13 「経済論戦は甦る」 竹森俊平 東洋経済新報社
- 「構造改革なくして景気回復なし」というかつては鮮烈だったメッセージにもいささか手垢がつき始めた昨今の風潮の中ではあるが、それでも論議されるのは「構造改革」と「景気回復」のどちらを優先すべきか?
という「問い」にすぎなかった。そもそも「構造改革」をすれば「景気回復」につながるという確信はどのような根拠に基づくものであるのか?なぜ「不良債権処理」を促進すれば「二年程度の停滞の後」に「着実な経済成長」が実現するのか?
という素直な疑問に対しての明快な回答が与えられることはなかったのである。1930年代の「大恐慌」時代。時代を代表する二人の経済学者、シュムペーターの「創造的破壊」とフィッシャーの「デット・デフレーション」という経済論戦は、
現在の日本の経済学者の間で戦わされている「構造改革」と「インフレ・ターゲット」という経済論戦につながるものがある。
そして歴史的な経験は、不況の最中に緊縮政策を行えば国の経済はますます深刻な不況に陥ることを教えている。
もちろん、どちらかが一方的に正しいと決め付けるような本ではなく、わかりやすい例を用いて相当に突っ込んだ内容まで理解できるように書かれた好著。正月休みに熟読したという菅直人の受け売りの「論戦」に期待したい。
- 2003/3/9 「趣味は読書。」 斉藤美奈子 平凡社
- 「読書依存症」『この一族は年中本に関するゴタクばっかりこねている。書評や書籍広告にもよく目を通し、読んだ本についてあれやこれやと論評し、頼まれもしないのに、ネットで読書日記を公開したりする。』
なんて、思わず身につまされて、笑って誤魔化すしかない論評はさておいて・・・ベストセラーなんて誰が読んでいるんだ?という素朴な疑問から出発し、読書するという人は実は極めてマイナーな存在なのであると論証する。
そしてこの社会には大多数の「本を読まない大衆」と極少数の「本しか読まない知識人」(偏食型、読書原理主義者、武闘派、過食型等々、治療が必要な人々)、そして読書人の多数派を占める「善良な読者」が存在するという。
そう、いわゆるベストセラーなるものは、この「善良な読者」に読まれているというわけだ。で、実はここまでが「前置き」で、この本の「本論」は、「ベストセラーなんて読まなくてもわかる」と嘯く「邪悪な読者」のために
「私が代わりに読んであげよう」というものなのである。但し、著者自身が(私の上を行く)「邪悪な読者」なので、「善良な読者」の皆さんは「防毒マスク」着用のうえ、お取り扱いには充分お気をつけ下さい。
- 2003/3/8 「龍の契り」 服部真澄 祥伝社
- 1997年の「香港返還」。高校一年の地理の時間に、「99年の租借」というのは「永遠に」という意味なのだ、と教わった記憶があったので、とても奇異に感じたことを思い出す。
これはその「香港返還問題」の謎にまつわる密約の物語である。そこに、ある機密文書が存在していたとしたら?そして、その文書を巡って、当事国である英国、中国に、米国、日本までが加わった争奪戦が繰り広げられる。
国際感覚あふれる超大型のサスペンスと誰もが認めるであろうこの作品は、この作家のなんとデビュー作なのだった。5年以上も前に友人に薦められて、即購入しながら、いままで読まなかったのは、ある意味幸せである。
だってこの後「鷲の驕り」「ディール・メーカー」と読み継ぐ楽しみが残っているもんね?
- 2003/3/7 「女は何を欲望するか?」 内田樹 径書房
- 先日の朝日新聞の書評欄で高橋源一郎も書いていたので、別に私が遅ればせながらというわけでもないようなのであるが、今私の中では「内田樹」が大ブレークしている。
「海辺のカフカ」に描かれたフェミニズムの通俗化に対し「うんざり」した知的な人々の登場や、フェミニズム退潮の予感に対する上野千鶴子の「早逃げ」などの指摘を読むと
「そうそう俺も常々そう思っていたんだよ。」と尻馬に乗ったいい気分にさせてもらえるのである。もちろん「平凡なおじさん」にすぎない私が「常々」フェミニズムのことなど憂慮しているはずがない。
「言われてみるとそう思う」という「痒いところ」への手の届き方が絶妙の按配で、もう手放せないという思いなのである。高橋が心配するように「期間限定の思想」は「これにて打ち止め」宣言だったわけだが、
内田のホームページを閲覧すれば(日記が激辛でファン必読)、今後の出版予定は目白押しで、当分の間「心配ご無用」というのが嬉しいかぎりである。
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