- 2002/12/28 「ナショナリズムの克服」 姜尚中 森巣博 集英社新書
- バブル以前の日本で使用されていた「国際化」という概念が、世界を日本のイメージで書き換えようとする試みであったとすれば、
現在、声高に叫ばれている「グローバリズム」なるものは、世界のイメージで日本を書き換えようとする試みに他ならず、それへの反発が
異常ともいえる「ナショナリズム」の高まりを生み出している。しかし、本来「民族」意識とは領域内の少数者に成立するものであり、
告白する必要のない者(多数者)に民族概念はない。では、今日本に吹き荒れている、日本型ナショナリズムの嵐とは一体なんであるのか?
在日の東大教授姜尚中と国際的博打打森巣博という異色の組み合わせが、
国家とは、民族とは、日本とは何かを縦横無尽に語り尽くす、刺激的な対談です。
- 2002/12/26 「時の潮」 高井有一 講談社
- 「昭和」という時代が終わった。その年に、同時に失われていこうとしているものへの郷愁と、生まれ出てこようとしているものへのとどめようの無い違和感。
変わっていこうとしているものへの抵抗と、変わっていかねばならないという焦燥感。そんなこんながない交ぜとなって、
この静謐でありながら、どこか艶かしい名品の魅力となっている。
- 2002/12/23 「日本さん家の家計簿」 読売新聞経済部 祥伝社
- 「年収468万円。これでは全然やりくりができず、新たにローンを300万円?」「生活費は475万円なんだけれど、田舎の親戚に170万円も仕送りしているし、
今までに借りたお金も少しずつ返さなくてはね。」「毎年いくら返しているの?」「返済は68万円だけど、利息を100万円払っているんだよ。」「え〜そんなに!一体いくら借りているのさ?」
「4140万円・・・」「げーっ!自己破産だーっ!!」金額が膨大すぎて実感の沸かない日本経済の現状も、1000分の1にして我が家の家計に置きなおしてみると、のっぴきならない惨状が身にしみるように判りますね。
- 2002/12/22 「人間はどこまで耐えられるのか」 Fアッシュクロフト 河出書房新社
- 飛行中の航空機の窓が割れたら?シートベルトをしていなければ、気圧の差で窓から吸い出されるように外へ投げ出される。運良く座席に残っても、すぐに酸素マスクを着けなければ、肺の中の酸素が急激に減少して30秒で意識を失う。
民間航空機が飛行する高度一万メートルは、人間が生きるには高すぎる高度なのである。(普段私たちはそんな危険をまったく意識することなく平気で飛行機に乗るけれど。)
どのくらい高く登れるのか、どのくらい深く潜れるのか、どのくらいの暑さに耐えられるのか、どのくらいの寒さに耐えられるのか。
極限の環境における人間の生理学的な反応と、限界への挑戦の歴史を描いた、好奇心をくすぐる一冊である。
- 2002/12/21 「借りたカネは返すな!」 加治将一 八木宏之 アスキーコミュニケーションズ
- 「返せるのに返さない」のは罪であるが、「返せないから返さない」のは罪ではない。(少なくとも犯罪ではない。)土地を担保にお金を貸しておきながら、土地が値下がりして担保割れしたから、お金を返せだの追加担保を出せ、などという銀行の言い分は、
自らはリスクを一切引き受けようとしない身勝手で無責任な言い分である。(子供の使いじゃあるまいし、少なくとも貸した側にも責任を取ってもらいたい。)などなど、よくぞ言ってくれたと溜飲の下がる戯言だけではなく、実践的な対策も(実際にやるかどうかは別として)盛りだくさん。
全国津々浦々の中小企業経営者の皆さん、どうぞ、中央線に飛び込む前にご一読下さい。
- 2002/12/15 「半落ち」 横山秀夫 講談社
- 現役の県警幹部がアルツハイマーの妻を扼殺。2日後に自首。生真面目な警察学校の教官、息子の死、妻の病苦。動機、自白の内容には何の問題もない。2日間の空白を除いては。なぜ自殺しなかったのか?2日間、何をしていたのか?
刑事、検事、記者、弁護士、裁判官、刑務官。6人の男がそれぞれの人生を絡ませながら、空白の2日間の謎に迫る。本年度最高のミステリーと評価の高い作品であるが、どうも最後の方は「一杯の掛蕎麦」のノリであったような。
とはいうものの、もちろん私もしっかり涙いたしました。
- 2002/12/15 「日本語の教室」 大野晋 岩波新書
- 2002/12/12 「日本語練習帳」 大野晋 岩波新書
- 私は田村です。私が田村です。ハとガの働きは、どこが同じでどこが違うのか。練習問題を解きながら日本語の能力を引き出していこうとしていた「練習帳」は、現在のいわゆる「日本語ブーム」の嚆矢と呼ぶべきか?
日本語の乱れの中に、日本人の文明に向かう力が崩れていこうとしていることを憂い、日本語はどこから来て、どのように展開し、どこへ行くべきか。読者の質問に答える形で語られる「教室」を読めば、
その立脚する地平ははるかに高いと認めざるを得ない。
- 2002/12/11 「イン・ザ・プール」 奥田英朗 文芸春秋
- どこにでもありそうな総合病院の地下1階にあるその「神経科」を訪れると、「いらっしゃあい。ぐふふ」と出迎える精神科医は注射フェチで、看護婦は露出狂。取るものも取り合えず注射をぶちゅう。
依存症、自意識過剰、強迫神経症。患者の抱える悩みがどんなものであろうが、いつの間にか、医者の方がそれを軽く凌駕して、重い症状を呈するようになっていて、こんな医者で本当に大丈夫だろうかと心配しているうちに、
気がついてみたら治ってしまっている。という、抱腹絶倒、本末転倒の怪作である。ただ、患者の立場に深く感情移入してしまうというのは、心理療法の正しいあり方にも則っているようで、案外、名医なのかも。患者も結構感謝しているしね。
- 2002/12/9 「色のない島へ」 Oサックス 早川書房
- 「妻を帽子とまちがえた男」「火星の人類学者」など、様々な神経症状を示す人々との臨床経験と出会いを、共感的にそして魅力的に描いてきたサックスの今回のテーマは「全色盲」だった。
生まれつき色のない世界に住む人々にとって、美しい自然をどのように認識しているのか。それは、決してくすんだ灰色の世界ではなく、音と光に満ち溢れた、鮮やかで心豊かな世界であった。
- 2002/12/8 「憂い顔の童子」 大江健三郎 講談社
- 「取り替え子」の続編。というか、自らを「自らを戯画化する性癖のある作家」と戯画化した、入れ子構造の作品であるため、これまでの作品のすべて(或いは人間関係までも)を引きずって
いかねばならないというシガラミに加えて、今回は「ドン・キホーテ」に仮託するという制約までもが加わって、「これが最後」といい続けながら、この先一体どうなることやらと、余計な心配をしてしまいました。
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