- 2002/11/30 「寝ながら学べる構造主義」 内田樹 文春新書
- レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っている。
ある書物がとても難しいと思ったら、自分が馬鹿なのだとあきらめてしまう前に、作者(或いは訳者)が馬鹿なのではないかと疑ってみる必要がある。構造主義なるものの大筋が、これほどすっきりと腑に落ちた本はなかった。
- 2002/11/26 「沢田マンション物語」 古庄弘枝 情報センター出版局
- 5階建85室のそのマンションには、一つとして同じ間取りの部屋がない。賃貸にも拘らず住人による改造(壁のぶち抜きまで!)が許されている。5階の部屋の戸口まで車で上がれるスロープがある。
4階には野鳥が集う池がある。屋上には水田があり、オーナーは自給自足の生活をしている。12歳でアパート経営を決意した沢田さんは、独学で家作りを始め、32歳で結婚。奥さんはその時13歳だった!
それから100所帯のマンションを目指し、基礎工事から大工仕事、配管工事まで、すべて夫婦二人だけでこなし、今もこのマンションは増殖を続けている。
ちょっと読んだだけではイメージさえ沸かない、この実在の愉快なマンションに、少しでも興味のある方は是非ご一読下さい。
- 2002/11/24 「社名の由来」 本間之英 講談社
- 自動車メーカー「マツダ」の社名は、創業者・松田重二郎の姓を取ったもの。と言えば、ごく当たり前のように思われるが、では何故その英語表記は「MATSUDA」ではなく「MAZDA」なのか?
実はまだ「東洋工業」という社名の時に発売した三輪トラックの商品名が「MAZDA」であり、それは自動車の原型の馬車を生んだ古代オリエント文明の最高神「アフラ・マズダー」に因んだものだった。
社長と社史編纂室長以外は誰も読まないであろう「社史」なるものに着目し、あいうえお順に並べたと言うだけで、これだけ薀蓄に満ちた本が出来上がるとは。まさしく「誰かに教えたくなる」こと請け合いである。
- 2002/11/21 「変化球の大研究」 姫野龍太郎 岩波アクティブ新書
- 「フォークボールは落ちていない?」ボールの回転を抑えて投げるフォークボールは、垂直方向に重力以外の力が加わっていない。つまり、自然落下の法則に従って放物運動をしているだけ、という意味で、落ちているわけではない。
直球と比較すれば「落ちている」わけではあるが、むしろ逆スピンによる揚力により直球の方が「落ちないという変化球」であると言ったほうが正しいわけである。何故ボールは曲がるのか?ボールの「キレ」とは何か?
「重い」球と「軽い」球とはどこが違うのか?などなど、知っていて損はない(それ程得するわけでもない)情報満載の一冊です。
- 2002/11/19 「近代の奈落」 宮崎学 解放出版社
- 被差別部落の問題を考えることは日本の近代を考えることである。経済的商品化・政治的民主主義化・社会的市民化を通して等質化していくことによる日本の近代化のプロセスの中で、括弧にくくることで包摂していこうとする動きと
それに抗ってきた運動のドラマ。「差別がないことになっている」ことは「差別があること」より陰湿であることを、差別される側から見ようとしてきた著者は最後に自らの出自の問題に突き当たることになる。
- 2002/11/18 「会議革命」 斉藤孝 PHP研究所
- 会議に遅刻してしまったとあわてて駆け込むと、バラバラに並べられた小さなテーブルのコーナーを挟んで、二人ずつ直角に椅子を並べ、一枚の紙に落書きをしながらワイワイガヤガヤとおしゃべりをいていたとしたら・・・
あなたはきっと部屋を間違えてしまったと思うに違いない。「会議」と称しながら、定刻を10分も過ぎてようやく全員顔を揃えたと思えば、事前に読んでくればすむような資料をいちいち読み上げたり、上座の発言力がすべてを左右して
議論の余地がなかったり、会議などしてもしなくても、結論は出てしまっていたり、永遠に出なかったり。そんな会議に時間を拘束されることにうんざりしているすべての人に・・・
そう冒頭のシーンは「声に出して読む日本語」の著者が提唱する新しい会議のスタイルなのである。
- 2002/11/14 「哲学のなぐさめ」 Aボトン 集英社
- 皆と群れることができない人へ(ソクラテス)充分なお金を持っていない人へ(エピクロス)思うように事が運ばない人へ(セネカ)自分自身を好きになれない人へ(モンテーニュ)
恋にやぶれてしまった人へ(ショーペンハウアー)困難にぶつかっている人へ(ニーチェ)誰もがかかえる日常の問題について、古今の哲学者の知恵を借りる。この魅力的な試みを成功に導いている秘訣は
回答者の選び方の絶妙によるところが大きい。どの哲学者に与えられたテーマも、自身一番の悩みの種とも言うべきものであり、読者と一緒になって悩んでくれるからである。「み〜んな悩んで大きくなった。」のである。
- 2002/11/13 「覘き小平次」 京極夏彦 中央公論新社
- 硬くひび割れた自分の踵に指先で触れる。指は確かに踵を感じているが、踵には何の感触もない。この踵は誰の物なのか?これが自分の踵だとしたら、触っているの誰なのか?
いつ何時でも、細く開いた襖の細長い隙間から、妻の背中を覘き見ている小平次は、何の演技もできないが、立っているだけで怖いという、幽霊専門の役者なのである。
興味津々の出だしではあるが、およそ主人公足り得ない人物を主人公に押し立てて、京極夏彦の筆が冴えまくる。
- 2002/11/8 「やさしい「がん」の教科書」 駒沢伸泰 PHP研究所
- 「阪大医学生が書いた」と頭書きがつくこの本は、母親を「がん」で喪ったことをきっかけに医者を目指した著者が、見事医学部に入学し、まだ専門教育を受ける前の体験実習中に企画した本です。
そういった意味で、医者の目線と患者の目線との中間に立って、正しい知識をわかりやすく伝えたいという思いがダイレクトに伝わってくる本だと思います。
- 2002/11/6 「最後の宦官秘聞」 賈英華 NHK出版
- 浅田次郎「蒼穹の昴」に活写された権謀術数渦巻く「宦官」の世界の、これはもう少し後の時代の実話版。
最後の宦官と呼ばれることになる孫燿庭が、貧困に耐えかねてわずか8歳で決意し、実父の手で「浄身」(つまり、おチンチンをちょんぎってしまう)を成し遂げた時、
清王朝は辛亥革命により既に存在しなかったことなど知る由も無かったという悲劇。
それでも、16歳で紫禁城入りを果たし、やがて満州国王となる溥儀につかえることとなる波乱万丈の物語は息つくことなく読みきってしまった。
- 2002/11/3 「海馬 脳は疲れない」 池谷裕二 糸井重里 朝日出版社
- 毎日出会っている新しい情報を分類整理してとりあえず蓄えておくことが記憶というものであるとすれば、何かを解決したい時に、まったく関係ないように見える情報どうしを咄嗟に結びつけること。
つまりとりあえず蓄えたものとものとを結びつけることにこそ、脳の本質がある。そういう意味で「年を取ったからもの忘れをする」というのは誤解であり、蓄えた知識の総量の多さにより、選び出すために時間が掛かるというに過ぎない。
生きている間、休むことなく働き続ける脳(表題にあるとおり、頭が疲れたと感じるのは、実は眼の疲れだそうです。)の不思議な性能を知り、軽妙な対談にもかかわらず、「頭がよい」とはどういうことなのか、深く考えさせてくれる好著だった。
- 2002/11/2 「海辺のカフカ」 村上春樹 新潮社
- 実は、村上春樹は「アンダーグラウンド」しか読んだことが無くて、小説は初めてなのですが、現代の神話の最高の語り部と呼ぶにふさわしく、
ベストセラーになることがうなずける読み味のよさでした。意味ありげな話の中身に、それほど深い意味が隠されているようには感じませんが・・・。
田村カフカという名前には感動。でも、存在感はなんと言っても「ナカタさん」に軍配があがります。
- 2002/11/1 「内臓が生みだす心」 西原克成 NHKブックス
- 心肺同時移植手術を受けた患者は、その性格まで臓器提供者のものを受け継ぐ?という驚くべき事実から、「心」というものは実は脳にあるのではなく
舌から肛門へとつながる内臓系にこそ育まれる。という洞察に至り、それを実証するというスリリングな本。脳死を人の死と認め、臓器移植を促進しようとする
動きに対する強烈な反証は、極めてユニークながら理にかなったもの。惜しむらくは、まるで下手糞な翻訳物のように、もの凄く読みにくい文章です。
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