- 2002/8/31 「静かな大地」 池澤夏樹 朝日新聞
- 朝日新聞連載終了。日本人による北海道開拓という名のアイヌへの迫害とそれに抗おうとした日本人の苦難の歴史。
9.11以来、先に取り上げた「緑の資本論」に代表されるような、「被抑圧民族をテロに追い込まないための付き合い方」の見本?としての
アイヌ的な考え方が注目を集めているように感じる。つまり、グローバリズムとは、遅れた人達を「近代化」してあげようという親切な顔をした
下品で「恥」を知らない文化が、奥ゆかしく上品な文化を駆逐してしまうことに他ならない。
- 2002/8/25 「からくり民主主義」 高橋秀実 草思社
- 「からくり民主主義」とは「からくり−民主主義」ではなく「からくり民主−主義」のことです。つまり、日本には本来あるべき民主主義がなく、にせものの民主主義がはびこっている、ということは知ったことではないわけです。
本当は私が思っているのに「みんなそう思っている」と言ってみたり、誰も願っていないのに「国民の総意にもとづいて」みたり、本当はどこにもいない「みんな」が主役の民主主義です。
(「あなた」が主役の民主党ですと4人が勝手に立候補するのもこの類です。)とりあえず「みんな」という「からくり」を出して、わかったつもりになって問題を片付け、次のニュースに進みましょう。というのが「からくり民主−主義」なのです。
「小さな親切」「世界遺産保存と観光」「オウム反対運動」「沖縄米軍基地」「原発」などなど、一定の図式にあてはめてわかったつもりの世論に逆らって、
「ものわかりの悪い」著者が、いまさらノコノコ取材に出かけた、これは抱腹絶倒のルポルタージュです。
- 2002/8/22 「天才の栄光と挫折」 藤原正彦 新潮選書
- 「天才の峰が高ければ、不幸の谷底も深くなる。」ニュートンはじめ9人の天才数学者たち。その栄光の歴史の裏に隠された、
努力と孤独と失意の日々を、現地に赴き、関係図書(時には関係者)に取材して綴った、同業者からのオマージュ。
以前、大学入学直後の学園闘争によるロックアウト期間中に読んだ「ガロワの生涯」の感動を思い出しました。
理解できなくてもいいから、主要な理論のほんの触りだけでも紹介してもらえると、なお面白かったように思いますが。
- 2002/8/18 「パリ左岸のピアノ工房」 TEカーハート 新潮社クレストブックス
- 実は、うちの奥さんがピアノ教師で、ピアノ関連の面白そうな本を見つけると買ってきて渡し、普通はそれで終わるのですが、先日の同窓会で企画した「お奨め本」のなかに紹介されていたので、取り返して読みました。
フランス在住のアメリカ人エッセイストが、怪しげな中古ピアノの修理工房に興味を持って、というところから始まって、(このあたりの展開がミステリィアスで興味津々の展開です。)
フランス人特有の変なアメリカ人への偏見を乗り越えてついに中古のピアノを入手し、次第に親交を深める中で、様々なピアノにまつわる歴史とエピソードが展開されます。
思わず「楽譜が読めないお父さんのためのピアノ講座」というNHKの教本を買ってしまったほど、ピアノを弾いてみたいという想いをかきたててくれるノンフィクションでした。
- 2002/8/15 「緑の資本論」 中沢新一 集英社
- 2001.9.11が明らかにしたのは「圧倒的に非対称な世界」の現実であった。圧倒的な政治力・軍事力・経済力の一極集中としてある「富んだ世界」は、グローバリズムの名のもとに「貧困な世界」を小児化し、「貧困な世界」はそれを屈辱とも冒涜とも感じる。
この原型が、人間と野生動物との関係にある。本来地球上において同等の立場に立つべき人間と動物は、火器の使用以来「圧倒的に非対称」な立場に立つこととなった。圧倒的に優位に立つこととなった人間は、野生動物までも家畜のように小児化することによって、
その誇りと尊厳を奪い、亡骸に敬意を払うことさえなくなった。肉骨粉に粉砕し、共食いまで強いたのである。だとすれば、「貧困な世界」からの逆襲としての「狂牛病」あるいは「テロ」も「もっともなことだ」と受け止める視座こそが、今必要とされているというべきであろう。
- 2002/8/14 「日本警察改造計画」 テリー伊藤 講談社
- 「元祖不祥事のデパート」神奈川県警の「元不良警官」(同僚の女性警察官をヌード写真を使って恐喝。有罪判決。)との対談。警察官のやりたい放題の暴露本。
自転車泥棒をでっち上げたり、パトカーがパトカーを速度違反で捕まえたり(間違えてではない!)漫画より情けない話が満載。
「免職の元警官はタクシー運転手になる人が多い。」そうですが、そういう統計があるほど免職警官って多いんですか?
- 2002/8/13 「アラビアの夜の種族」 古川日出男 角川書店
- ナポレオンのエジプト遠征。「迎え撃つべし」という第一勢力を中心とした武闘派の怪気炎の中で、武力では到底太刀打ちできないことを悟っていた第三勢力の長の戦略は。
アラビアの夜の種族に口伝される「災禍の書」を仏語訳してナポレオンに捧げるというものだった。というわけで、この劇中劇ともいうべき「災禍の書」の内容が、3人の英雄譚。
「ファイナルファンタジー」的な子供だましのようでいてなかなか奥の深い、読み出したら止まらないという代物で・・・そう、戦略を立てた本人が止まらなくなってしまって、
実はこれこそが、第2勢力の長の遠大なる計略だったというわけです。これ翻訳モノだということですが、あとがきで翻訳にいたった経緯を読んだ後でも、なんか未だにだまされているような気がしています。
- 2002/8/6 「戦争広告代理店」 高木徹 講談社
- サラエボはオリンピックで有名になったからまだしも、ボスニア・ヘルツェゴビナなんて正直言って私の日々の生活には何の関係も無いわけで、にもかかわらず未だに国名を覚えていたり、
セルビアのミロシェビッチと聞いただけで、極悪非道の人非人のように思ってしまうのは何故か?実はこれはすべて、ボスニア側の後ろについた広告代理店のPR活動の成果であったとしたら。
「PR」とは「Public Relations」の略であり、商品や企業を広告するのはそのほんの一端の活動で、情報操作が本業であり、国家や政府が得意先に名を連ねるというのが事実なのである。
ボスニアもセルビアも実際やっていることに大差は無いというのは、現地に行けば誰でもわかることなので、つまり、聞きかじりのみの一般大衆は、条件反射(パブロフの犬)しているに過ぎないということなのだ。
- 2002/8/1 「くたばれ官僚!」 浅井隆 第二海援隊
- 読み出してすぐに、随分前に出版された本を間違えて買ってしまったことに気付いたわけですが、これはまだ「大蔵省」なるものが存在し、
盛んにバッシングされていた時代の本で、つまり「省庁再編」のきっかけとなった出来事に文句をたれているわけだけれど、
その省庁再編なるものを無傷で乗り切った「外務省」が今はまったく同じような論調でたたかれているわけです。
役人は何年かごとに総入れ替えしたほうがいいと言うのが私の意見で、「俺がいなかったら日本の未来は」なんていうのは
「俺が休んだら会社の業務に支障が」というサラリーマンの思い込みよりさらに空しいような気が・・・
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