- 2002/5/26 「コフィン・ダンサー」 Jディーヴァー 文芸春秋
- 前作「ボーン・コレクター」では新米鑑識員として、身動きできないリンカーンのまさに手足として動いていたサックスが、もう個人の判断で動くようになってしまったために、
逆に単なる車椅子探偵物(鑑識というブツから推理するよりは、心理面の推理に頼る)の色彩が濃くなってしまったようにも感じるが、それはそれで充分に楽しめる。
最後の大どんでん返しが「ダンサー」の面目躍如なのだろうけれど、それまでの息がつまるような緊張感があっさりくつがえされたような気もして・・・
このあたり、ネタばらしになってしまうので意味不明でごめんなさい。
- 2002/5/24 「文章読本さん江」 斎藤美奈子 筑摩書房
- 世に数多あふれる「文章読本」なるものは、一体誰に向けて、何のために書かれているのか。これは、そのような「文章読本」なるものを書かんとする人のために書かれた「メタ文章読本」の形をとりながら、
文章の書き方、スタイルなどは、所詮ファッションなのであれば、着脱自在、何でもござれなのだわサ、とばかりに、徹底的に茶化して見せた快作なのであります。
- 2002/5/18 「新宗教と巨大建築」 五十嵐太郎 講談社現代新書
- 建築史学という「学」にとって、キリスト教や仏教の建築物は対象足りえても、いわゆる新興宗教(大本教、天理教、金光教)の神殿等が対象となりえないのは何故なのか?
そりゃあやっぱり「建築<死>学」だからナマ物は無理なんだろうというのが、私の考えであります。とはいえ、新進気鋭の建築評論家のこれが博士論文なのだそうで、そういえば同じ東大建築学科卒で、こちらも売り出し中?の菊川怜の卒業論文は、
組成を変えた生コンクリートを遺伝子工学的に掛け合わせて、最強の生コンを作るという「生コン進化論」!
一応、大先輩としては、頼もしい後輩たちに恵まれてとても幸せな気分です。(これは決して皮肉ではありません。念のため。)
- 2002/5/15 「社長のための失敗学」 畑村洋太郎 日本実業出版社
- この本には21個の社長の失敗の体験が取り上げられている。人の失敗談を読むというのは実のところ「楽しい」し、思い当たるところ、参考にすべきことももちろんある。
しかしこの本の一番重要な部分は短い「まえがき」と少し長い「あとがき」にある。人は失敗を学ぶことによって成長する。つまり失敗の体験を糧としなければ次のレベルに進めない。ということ。
そして、「経営にまつわる失敗の構造」を学ぶことが自らをそして会社を強くすることにつながる。ということである。
- 2002/5/11 「三色ボールペンで読む日本語」 斉藤孝 角川書店
- 空前の「日本語」ブームであるが、その嚆矢となった「声に出して読みたい日本語」を書いた著者の、これは本の読み方を書いた本である。
ボールペンで線を引く。客観的に見て、大切だなというところに「青」ここはものすごく大切というところに「赤」。他人はどうかは知らないけれど自分は好きだというところ、つまり主観的に気に入ったところには「緑」。
線を引いて本を読むという人は多いと思うけれど、主観と客観で評価しながらというところが売り。適切に「赤」が引ければ、他人に大筋を紹介する時に便利、ということは自分なりにその本を消化できたということにもなるわけですね。
もっとも私のように主観的に「この本を読め!」なんていう輩には、同じ本を持ち寄って「緑」部分を論じ合うというほうに魅力を感じます。共通の認識を相互に確認しながら(青、赤)独自の意見を交し合う(緑)というコミュニケーションツールとして活用できそうです。
- 2002/5/11 「大掴源氏物語まろ、ん?」 小泉吉宏 幻冬舎
- 源氏物語の1帖を、長短関係なしに、すべて見開き2ページの漫画で要約してしまったという、画期的な試み。原文は「いずれのおほんときにか・・・」までで、現代語訳も橋本治で少々、という者にとっては、まさしく大掴みに最適でありました。
NHK大河ドラマのスケールをはるかに逸脱してしまうストーリィ展開に今更ながら驚いたり、「もてる男」の第1条件はこの時代から「マメ」の一言に尽きるのだなぁと感じ入ったり。
それにしても、はじめは違和感のある「マロン」顔が、すぐに溶け込み、だんだん憎めなくなってくるところが感動モノです。
- 2002/5/9 「日本人のためのイスラム原論」 小室直樹 集英社インターナショナル
- 元をたどれば同じ唯一つの「神」を信奉するはずの「キリスト教」と「イスラム教」が、なぜ「文明の衝突」的な論考をなされるまでに修復不可能な関係に陥ってしまったのか?
歴史的・思想的にみてはるかに過激なキリスト教に対し、融和的で温厚なイスラム教がなぜ「過激派」や「テロ」につながってしまうのか。
これ1冊で「すべてわかった!」といえるはずもないが、自分なりの理解としては「キリスト教(予定説)」が「浄土真宗(他力本願)」とすれば、「イスラム教(ジハード)」は「一向宗(念仏浄土)」ということかなぁ。
と思ったわけで、「キリスト教」も「浄土真宗」も宗教的には堕落しているし、「一向宗」は「一揆」に走ったし、なかなかイケてる例えではないかと・・・
- 2002/5/5 「ニセモノ師たち」 中島誠之助 講談社
- 「お宝鑑定団」でブレークした著者の回顧録風業界裏話暴露本。この番組を契機に世は骨董ブームなのだそうで、それも、ひょっとしたら我が家の納戸にも「お宝」が眠っていやしないか、というのがブームらしい。
しかし、この業界、そもそもただ一つしかないものを皆で追いかけるという、ニセモノの発生を前提としなければ活性化できない不毛のルールに縛られているわけなので、素人がそんなに簡単に太刀打ちできるはずもなく、「師」が跋扈する世界となるわけである。
骨董は本来、生活の中で使用されてこそ光を放つものであれば、好みの品に囲まれて暮らすという「生活骨董」こそが我々素人の目指す道であろう。
- 2002/5/2 「世の途中から隠されていること」 木下直之 晶文社
- 本との出会いを大切にするタイプなので、書評子や著者に対する信頼と安心から購入する以外の「衝動買い」の本の多くは、中味ではなく外見、それも「題名に負けて」というのが多くなる。
この何やら意味ありげな題名の本は、普段何気なく見過ごしてしまってきた「モノ」たちに、固執的な視線を集中し続けることで、隠されている「コト」を洗い出す。すると、無意味な「モノ」が意味ありげな「コト」の痕跡として鮮やかに立ち上がってくるという趣向である。
それでどうした?とは決して言わないことが、こういった類の本を楽しむためのルールなのである。
- 2002/5/1 「停電の夜に」 Jラヒリ 新潮社クレストブックス
- インド系新進作家による短編集。どの作品を取っても極上のインドカレーの香りは漂わせながら、味わいのほうはこれが同じカレーかと言うほどに異なる。しかも実に「美味い」。
「族」(人種の場合もあれば帰属の場合もある)を異にする者たちが共存することによる「違和感」あるいは「切なさ」のようなものに胸を塞がれるような読後感。
しかし、何より最大の売り物はカバー裏表紙の著者近影。極め付きの知性派美女(Sソンタグ以来かなぁ)なのである。
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