- 2002/4/23 「痛快!サバイバル経営学」 阪口大和 集英社インターナショナル
- 「痛快!・・・」シリーズは手軽な入門書として何冊か眼を通しましたが、「痛快!憲法学」(小室直樹)とこの本の2冊をお勧めしておきます。
最初の数章が手軽すぎるのは著者も認めていることですが、組織とリーダー論(最強のアマチュアたれ)や、これからの日本の経営者が目指すべき方向性について、手強い部分も感じさせてくれたので。
- 2002/4/17 「日本読書株式会社」 本の雑誌編集部 本の雑誌社
- その人の履歴や趣味に応じ、その時の気分や要望にぴったりの本をお勧めする会社を作るという夢のようなお話。
もちろんそんな商売が現実に成立するはずもなく、これはそのバーチャルウェブ版。気分や状況に応じたお勧め本の「相談コーナー」に寄せられた質疑応答の集大成です。
実は、私の引退後の夢は「古本屋の親父」。自分好みの選択で並べた本を売るというより、売り惜しむ?というのはいつの話か?
- 2002/4/17 「椿山課長の七日間」 浅田次郎 朝日新聞
- 朝日新聞の連載が終了しました。実は新聞の連載小説を最初から最後まで読み通したのはこれが初めてで、ちょっと嬉しいわけです。(もっとも新聞連載の中では最短に近い作品だったのではないかという気もしますが・・・)
内容は、死後の世界を描いたもので、迷わず成仏することに不服を唱えた3人(デパート売場課長、やくざ、子供)が、姿を変えてこの世に3日間だけ逆送されというもので、3人のおよそかけ離れた3つの人生が実は複雑にクロスし云々。
浅田次郎お得意の、笑いあり泣かせありのストーリィが展開されます。
- 2002/4/16 「アフガニスタンの仏像は・・・」 Mマフマルバフ 現代企画室
- 正式な題名は「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ。」というもの。麻薬以外に売り物を持たない極貧と水源の枯渇による飢饉の中で、餓死何万人、難民何十万人という事実は話題にすらならない、世界から忘れ去られた国アフガニスタン。
にもかかわらず、バーミヤンの石仏が破壊されるや全世界から非難を受けることになる。信仰の対象としての仏像は、寄せられた信仰に対して何らなすすべもない自らを恥じて、破壊するまでもなく崩れ落ちたのだ。
著者は「サイクリスト」等で著名なイラン最高の作家・映画監督。(金沢ではつい先日まで「カンダハール」という映画が上映されていました。)「今ごろバーミヤンの話なんて。」と一瞬でも思った方は、ぜひこの本をお読みください。お願いします。
- 2002/4/13 「最悪」 奥田英朗 講談社
- 町工場の親父と、ちんぴらになりそこねた若者と、信用金庫の女子事務員。3者3様の「最悪」の日々がそれぞれに延々と続いていく。そしてある日それが1箇所に集結して・・・。
私のような地方の中小企業の親父には、特に町工場の親父の「最悪」が身につまされて、情けなさに無性に腹が立つので、逆ギレの瞬間には快感さえ覚えてしまった。
ところで、奥田英朗なら「邪魔」だろうといわれればその通りなのですが、前にも書いたけれど第1作から読まないと、という性格なもので・・・。
- 2002/4/9 「やがて中国の崩壊がはじまる」 Gチャン 草思社
- 「21世紀は中国の世紀」といわれて、「なるほど」と動き始めてしまう人と、どうしても素直に認められない人がいるのではないか。
突き詰めて言うと、「中国」への期待の大部分は「人口」という量に対するものである、というのがその理由であるように思う。
実はこの本、前評判の割にはあまり腹に応えず、読み出すとすぐ眠くなってしまい、あまり内容を確実に把握していないのだが、そのあたりが何となく中国の中国らしさかも、と妙な納得の仕方をしているわけで、
きっと、気が付いてみたらいつの間にか崩壊していた、というのが近未来の中国の姿であるに違いない。
- 2002/4/4 「究極のわが家「100年マンション」の誕生」 江本央 東洋経済新報社
- 日本ではコンクリート造の建物の内側に断熱を施すので、コンクリートは外気温と同化し、室内側で結露したり、温度差により劣化を早めたりしてしまう。
日本で「常識」となっている「内断熱」は世界の「非常識」である。「日本のマンションにひそむ史上最大のミステーク」(TBSブリタニカ)により「外断熱」の一大ブームを引き起こしたこれは第二弾「実践編」。
詳しく知りたい方は、「あなたのお役に立ちたい」→「外断熱」をご覧ください。
- 2002/4/3 「戦士たちの挽歌」 Fフォーサイス 角川書店
- 「ジャッカルの日」や「オデッサファイル」など、かつてのフォーサイスに酔いしれたものとしては、いささかの違和感を覚えざるを得ないが、技巧の冴えは短編でこそ発揮されるもので、ストーリィ展開のテンポの小気味よさと読後の味わい深さはさすがと思わせてくれる。
一つ残念なのは、訳者が独断でつけたと思われる表題がことごとく結末を事前に予測させてしまうこと。最後のどんでん返しの迫力が「台無し」になってしまったと言ってよく、いっそのこと「題無し」の方がまだ救われたと思う次第。もともとの表題のつけ方にさえ作者の深い意図が偲ばれるだけにとても残念である。
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