- 2001/4/24 「M/世界の、憂鬱な先端」 吉岡忍 文藝春秋
- 日本全国津々浦々に広がった「どこにでもある」が「どこでもない」町。
そこには「生活がある」が「生活しかない」「生活圏の町」。
続発する少年犯罪は必ず、なにごともなさそうなあっけらけらかんとしたそんな風景の中で、発生している。
幼女連続誘拐殺害犯・宮崎勤の殺害にいたる道筋を、供述調書や精神鑑定書を丹念に読み解きながら跡付けていく作業。
移り気な世間からはもはや忘れ去られた感のあるM、何をいまさら、と言い切れるほど、私たちはMについて何を理解しているというのか?
もちろん、この本を読んだからといって、Mや酒鬼薔薇が理解できるわけではない。
そう、それは20世紀の最後の10年が21世紀に突き刺した先端なのだから。
- 2001/4/19 「黒祠の島」 小野不由美 祥伝社
- 前作「屍鬼」と言ってみれば似たような舞台設定の中で展開されながら、今度はホラーに加えて本格推理ということで期待は大きかったのですが、
異様な風習の描写で盛り上がろうとする雰囲気にどっぷりと浸ろうとする読者をおきざりにして、勝手にどんどん謎解きを展開しながら否定されるという繰り返し。
このまま欲求不満で終わるのかと思いきや、来ました。来ました!
最後の数ページでようやく納得できる落とし前をつけてくれて、イラストロジックが突然解けたような快感?
それにしてもこの作者の描く「化け物」はどうしてこんなにキュートなのでしょうか。
- 2001/4/1 「「私」は脳のどこにいるのか」 澤口俊之 筑摩書房
- 「私」の中に脳があるのではなく、脳の中に「私」がある。とすれば、「私」は脳のどこにあるのか。
脳の解剖生理学的構造の解明が、脳の情報処理システムとパラレルであるとすれば、そしてまさしくそうであることが、判明しつつある現在、
「われ思うゆえにわれある」哲学の世界と、字義通りの電脳の世界とは一枚の薄っぺらな紙の表裏の関係にあることになる。
しかし、依然として問われているのは、「私」があるかないかではなく、「私」とは何かということに他ならない。
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