- 2001/2/28 「ビタミンF」 重松清 オール読物
- 直木賞受賞作。Fは“family”のFというわけで、家族をテーマにした短編集。
といっても、流行の天童荒太ほど「愛があふれる」ような重さはなく、かといって「プラナリア」ほど軽くもない。
ほどよい「重さ」が、「家族」を背負って立つ気になっている「おとうさん」には程よい活力剤になるという「解題」でしょうか。
年頃の娘と息子を持つ身としては「セッちゃん」「げんこつ」どちらも変に感情移入して、手のひらに汗をかいてしまったわけですが・・・
- 2001/2/27 「プラナリア」 山本文緒 オール読物
- 直木賞受賞作。主張や哲学があるわけではなく、大きな事件もない。乳がんというのは個人にとっては大きな事件であることに間違いはなく、
しばらくは悲劇のヒロインとして主人公を張るけれど・・・むしろ大きな事件もないことにいらだちながら、無為にすごしていくことにあせるという、
この程度の話なら、誰もが皆主人公という短編。文章がこなれているという評価は「安心して読める?」ということなのでしょうが、
安心して読める小説など読みたくない。「あいあるあした」の方がしっくりくる。というわたしは、旧い人間なのでしょうか?
- 2001/2/25 「大正天皇」 原武史 朝日選書
- 偉大な「明治」と激動の「昭和」に挟まれて、影の薄い「大正」。
その影の薄さがそのまま「天皇」個々の評価(といって言い過ぎならば印象)につながっているわけだろうけれど、
よく考えてみると、戦後派のわたしにとって、明治はおろか昭和ですら、天皇の思想や行動を認知しているわけではない。
事細かに跡付けられた「大正天皇」の足跡をたどってみると、むしろ人間としての実像が露になりすぎることを嫌う「時代の意思」の存在があり、
枠からはみ出しすぎたものとして抹消されたということなのだと気付かされた。
- 2001/2/23 「岡山女」 岩井志麻子 角川書店
- 徹底して「明治時代」の「岡山」にこだわり続け、異色のホラーを語り続けることが戦略的に成立していることは間違いない。
ただ、怖いよ、怖いよ、と脅しつづけながら(映画ジョーズの通奏低音のように)あ〜怖かったと自分勝手に納得してしまったようなところに物足りなさを感じる。
「ぼっけぇきょうてぇ」の衝撃性があまりも強烈だったことがこの作者の不運にならないことを祈りつつ、次回作に期待。
- 2001/2/9 「取り替え子」 大江健三郎 講談社
- 誰もが知っているあの事件を背景にして、お馴染みの配役で、というよりも、当の本人が本人役の役者として演じられた映画を見てきたような、これまで味わったことのない読後感。
一方では、物語の中の物語の中の・・・という入れ子構造や、主人公と語り手の入れ替わり、視点の逆転と、それを成立させる道具立て(たがめ)など、小説としての見せ場も多い。
まあ、作者の自叙伝それ自体が「ものがたり」的と言ってしまえばそれまでだけれど。
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