徒然読書日記
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2024/10/24
「時評書評」―忖度なしのブックガイド― 豊ア由美 教育評論社
新型コロナウィルス感染症のパンデミックの始まりは2019年の暮れ。年が明けてから国内でも徐々に感染者が出て、 またたく間に世界的流行となった。2020年4月、営業自粛要請に応じた事業者への休業補償について松本人志が自身の番組で ・・・
「水商売のホステスさんが仕事休んだからといって、普段のホステスさんがもらっている給料を我々の税金で、俺はゴメン、払い たくはないわ」と発言し炎上した問題に、モーパッサンの名作短篇『脂肪の塊』を紹介し、並べて論じてみせるという、いわば書評 が時評を兼ねる形なのだが、
「水商売のホステスさん」が娼婦だとか、「脂肪の塊」と同じ犠牲者だとか、そんなことを思って、モーパッサンの作品紹介を したわけではないことを、まずは念のために記しておきます。
<わたしが両者を並べたのは、「思いやり」について考えたいからなんです。>と、高須克弥や百田尚樹や、ついでに杉田水脈の 根っこで精神がつながっている問題発言までバッサリ、というあたりが、忖度なしのブックガイドなのである。つまりこの本は、
『百年の誤読』
などでその 実力が折り紙付きの「毒舌書評家」がウェブニュースに連載した、時々の話題と絡めた書評3年分の集大成なのだ。
社会を自分の敵と味方に分断し、双方間に生まれる憎悪を糧に権力の拡大を図るのが、橋下徹と大阪維新の会の正体であると切って 捨てた後で、持ち出してきたのは、「誰かが誰かと」「何かが何かと」つながっていく豊かな世界を描いた江國香織の『去年の雪』。 「分断できると思ってるのは、おめえらだけだよ」というわけだ。
JOC組織委員会の森喜朗会長による問題発言、女性が「わきまえる」ことを是とする感覚への不信や、怒りが湧き上がったことに ついて、取り上げたのは、男尊女卑の考えが根深いカムチャッカ半島で、「女だから味わわされた屈辱や恐怖」を思い出させてくれる というジュリア・フィリップスの『消失の惑星』。
安倍晋三、麻生太郎など、自民党の偉いおじさんたちが失言や失態をくり返すのは、自分にはそれが許されていると思っている からだ、というわけで、昭和のがさつで無神経なおじさんタイプが発する言説にうんざりさせられている人に贈るのは、松田青子の 『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』。
などなど、絶妙の選本で鋭い着眼の時評が繰り広げられていくのであるが、この著者の本への愛が殺伐とした世評の暗さの救いに なっているようにも思われる。
年に一度の《最強文芸ベストテン》も読みたい本の目白押しで楽しいが、特にWBC日本代表チームに見立てたここ10年の 《ベスト・オブ・ベスト》は必読である。
「小説は大八車で運ばれる理論」(笑)を提唱する著者によれば、作品は荷物で、両輪が作者と批評家、前で引っぱっているのが 担当編集者と版元だという。後ろで押している書評家の役目は、素晴らしい作品を載せているにもかかわらず、坂道など困難な状況 に陥っている大八車の前進をレビューで後押しすること。そのお役目を存分に発揮してみせた、渾身の一冊であると、本好きの アナタには強くお勧めしておきたい。
「今」を伝え、そこにおける問題を提示するリアルサイズの言説と比べ、小説の言葉は遅い。・・・でもね、後になればわかり ます、小説の言葉の強靭さが。読んだ人の心になにがしかの種を蒔き、ゆっくりとだけど根を張り、その人を変容させる。多くの 小説は、そんな強い力を宿しているんです。
2024/10/22
「コメンテーター」 奥田英朗 文藝春秋
「そうね−。会社に逆らってでも出社するのがいいんじゃない?」「それはどういうことですか?」「在宅勤務をして家族 間のストレスを抱えるか、出社してコロナ感染のリスクを抱えるかの選択。出社を選ぶ人がいても、もう誰も責めないんじゃないの」 (『コメンテーター』)
ワイドショーのコメンテーターとして出演し、<コロナ禍における家族間のストレス対処法>について、精神科医の立場から アドバイスを求められた伊良部は、そもそも人類は集うように出来ているのだから、感染症とは付き合うしかないのだと発言し、 視聴率「命」の敏腕プロデューサー宮下を頷かせたのだったが、
伊良部「人間、死ぬときは死ぬんだし」
宮下「やっぱダメだ。苦情電話殺到だ」
というわけで、トンデモ精神科医・伊良部が主人公として活躍する超人気連作短編集の、なんと17年ぶりの<第4弾>、ファン お待たせの新作のお披露目である。
諍いを避けたい性格が災いして、他人の道徳に外れた行いを見かけても口をつぐんでしまい、怒りを溜め込んで過呼吸発作を起こす ようになった福本は、<
いつも煽り運転をされる車に煽られたら、車を停めて、出て行って怒鳴りつける
>というショック療法を処方される。(『ラジオ体操第2』)
ものは試しでデイトレードを始めてみたら、一年で三億円を突破し、二年経った今では資産十億円と、一生遊んで暮らせる身の ひきこもりとなった26歳の河合は、<
伊良部に無理やり贅沢三昧の浪費をさせられた挙げ句、反対を押し 切って全財産を寄付し
>二年振りに心から笑うことができた。(『うっかり億万長者』)
閉ざされた空間が怖くなり、演奏会で人に囲まれる客席には座っておれず、新幹線ののぞみにも乗れなくなってしまった女性 クラシックピアニストの藤原は、<
潜在的な自由への憧れを指摘され、しばらく休むことを勧められて
> 伊良部の看護師マユミが主宰するロックコンサートに出演する。(『ピアノ・レッスン』)
リモートが続いたせいで、全身から汗が噴き出すなど人と接するのが怖くなり、大学へ行くことすら困難になってしまった、山形 から上京した大学生の北野は、伊良部が斡旋したボランティアで鍛えられるうち、一度自分を壊したいという気分になり <
奇抜なコスチュームで渋谷の街を練り歩くことになる
>。(『パレード』)
『イン・ザ・プール』
『空中ブランコ』
『町長選挙』
と続いた前3作同様に、患者よりは医者の方がはるかに危なっかしくて、「本当に、こんな治療で大丈夫なのか?」と患者の方が 心配しているうちに、あら不思議、いつのまにか症状が快癒してしまっていることに気付く、というお定まりのパターンが繰り返され ていくことになるのだ。(読んでる方もイライラが治まったりして)
さて、伊良部のお蔭で視聴率を稼ぎ社長賞を受けた宮下だったが、チックの症状が治まらないため、社長から「力を抜く」ように 諭されることになる。「一度あの先生のところで診てもらったらどうだ。」というあたり、さすがに<伊良部出禁>を宣言した社長 でも、見るべきところは見ていたのである。
「いやあ、あの先生が出て来ると妙に癒されてね。考えてみれば、人を脱力させるんだよな。コロナ鬱の特効薬は脱力すること かもしれないな。さすがは精神科医。もしかして名医なんじゃないのか。ははは」
2024/10/19
「倫理的なサイコパス」―ある精神科医の思索― 尾久守侑 晶文社
病棟では患者が自殺未遂を起こし、とんでもなく怒った患者家族が怒鳴り込みに来ているが、その日は外来日で、予約が 定員の300%くらい入っており、すでに1時間押した状況にもかかわらず、いつもは5分で終わる患者が昨日死のうとして樹海まで 行って戻ってきたことを打ち明け始め、待合室の外ではふだん安定しているはずの患者さんが怒鳴り声をあげて走り回っている声が 聞こえ・・・
<それなのに先ほどから物凄い便意に襲われて今にも漏らしそう。>・・・みたいな切羽詰まった状態が、私たちにとっては 「日常的な例」というこの本は、精神科医として約10年「一寸先は闇」の日々の診療の現場で格闘してきた著者による臨床 エッセイである。
毎日毎日、たくさんの差し迫った患者の辛い気持ちを聞くのは物凄く疲れるのだそうで、1日50人の患者全員にこれをやられると、 こちらの精神が崩壊してしまう。そのため、直接その人の心に触れないように、患者を“病気”扱い、ないしは“カテゴリ”に落とし 込むことによって、こちらの精神の健康を保つことにする。あるところで、全員の心を平等に考えるのをやめ、時間と気力を最適化 して、社会的な仕事としての診療を完遂するために、“サイコパス”的に考えるわけなのだが、<私は、ただの“サイコパス”に なりたくないとこの時思った。>
“サイコパス”的に考えることがお仕事としては必要としても、“サイコパス”的に考えたことで、切り捨ててしまったかも しれない部分をもう一度検討し直せる“倫理的なサイコパス”に私はなりたい。
なんて・・・、患者さんの診療中に心に浮かんだ「よしなしごと」を「そこはかとなくかきつづった」だけの、独白型の風変わりな エッセイなのだが、
「犠牲者の臨床」――混雑する外来で、必ず診察時間を短くされてしまう「犠牲者」になる患者は、自ら無意識的に「犠牲者」に なろうとしているところがある。
「ヨコヤとの戦い」――外来診療で次々に困難が降りかかってくる日は、「ライアーゲーム」に登場する敵役「ヨコヤ」の仕業に 違いないと警戒しておく。
「破れ身の臨床」――鏡のような「隠れ身」の存在であるべき治療者の存在の、生身の人間としての「破れ身」の面積が、SNSの 発達で昔より大きくなっている。
「知らんがな、社会問題」――すべての社会問題はおそらく何かの形で個人に影響を与えているが、今自分が考えるべき社会問題と いうのは人それぞれ異なるだろう。
「高いいね血症」――少しもらう程度なら嬉しいが、大量の「いいね」が血中を巡り始める状態になると、毒性の方が問題になる のではないか。
など、言葉の選び方に独特のセンスが感じられるのは、この著者が『Uncovered Therapy』という詩集で「H氏賞」を受賞した、 詩人と二刀流の医師だからだろう。
薬を出したり、検査をしたりと“医者”役をやっていれば済むことも多いが、ある場面ではどうしても役ではなく“個”として患者 と接さねばならなくなるという。<応答を求められたときに思わず反応するのは、医者としての役割ではなく“個”だからだ。>
関係のなかに“個”を晒していると、当然その“個”は、他の職業を選択していたら遭わなかったはずのさまざまな感情に晒され、 影響を受け、そして不可逆に変質する。よく言えばそれは「精神科医になったことで人間として成熟した」といえるのかもしれないが、 「負わなくて良かったかもしれない傷を沢山負った」ともいえるかもしれない。
2024/10/13
「パラノイアに憑かれた人々」―(上)ヒトラーの脳との対話 (下)蟲の群れが襲ってくる― Rシーゲル 草思社
一匹が視野を駆け抜けてゆくのが見えた。一瞬ののち、彼は気がついた。なんてこった、こいつら、おれの目の中にいるんじゃ ないか!しかも、虫たちはさらに上にのぼっていった。・・・すると、連中が食いつく、身の毛もよだつような音が聞こえてきた。
「おれの脳だ!おれの脳を食ってやがるんだ!」
<パラノイア(偏執病、妄想症)>という言葉の語源は古代ギリシア語にあり、誰かに虐待されていると誤って思いこむことによって 陥る<狂乱状態>を指していた。しかし、実際にパラノイアになれば、虐待は妄想などではなく、アナタは確かにみんなから苦しめ られていると確信することになる。では「みんな」とは誰なのか?
この本は、カリフォルニア大学の精神医学行動科学科准教授である著者が、「特異な妄想に取り憑かれた人々」に密着取材した11の 症例の克明なレポートである。
ヒトラーの脳が自分の頭の中に収まっていると思いこみ、それをプログラムで蘇らせたコンピューターを「わが総統」と大真面目に 信奉する大学院生のプログラマー。
個人監視用の人工衛星が自分の真上の周回軌道上にあり、ぞっとするような映像の「はがき」を送ってくると言い張り、それを理論 的に立証してみせようとする科学者。
薬物による「皮下をなにかが這っているかのような」感覚が、やがて「皮下をなにかが這っている」という妄想へと変化し、悲劇的 な結末に至るコカイン中毒者。
『孫子』の兵法に心酔し、劣勢のときにはトイレに行って自分の便を顔に塗るなど奇矯な振る舞いで無敵を誇り、ついには敵を射殺 してしまったチェス・プレイヤー。
イスラエル・マフィアが手先として送り込んでくる「小人」たちの襲撃に備え、暗視望遠鏡やパラボラ・マイクなどの撃退装置を 自邸に完全装備する麻薬密売人。
など、登場するパラノイドたちの妄想は「信じ難いものもあるかもしれないが、いずれも実話である」と著者も言うように、常軌を 逸した重篤な症状ばかりなのだが、
小人の髪は硬くて黒く、まゆは太くてもじゃもじゃで、前かがみのぶかっこうな姿勢で歩くのだという。おやおや、それじゃあ、 メガネをかけさせ、葉巻を吸わせれば、小型グルーチョ・マルクスではないか。
と、あくまで軽い調子で乗りこなしてみせる、著者独特のユーモアのセンスが、深刻になりそうなお話しの先行きを救ってくれて いる。(患者には受けないが・・・)
パラノイドの思考に最も特徴的なのは「猜疑心」だという。疑惑の正体を確認する手がかりを得ようとして、あらゆるものを入念に 調べ過大評価する。そして、独自の論理体系のパターンに組みこみ、その信頼度が堕ちないように、修正を加える。こうして パラノイドは柔軟性を失い融通がきかなくなるのである。
パラノイドの第二の特徴は「敵対心」で、自分以外のものは悪意に満ちていると信じて疑わない。他人の反感を買うことが、不安の 正しさを裏付けることになるのだ。
さらに、そこから第三の特徴である無意識の自己防衛メカニズム「投影」が力を得て、感情的に受け入れられない刺激や緊張を 拒絶し、それを他者になすりつける。私が彼らを憎んでいるのではなく、彼らが私を憎み、殺したいと思っているのだ、という <自己関係づけの観念>が、第四の特徴である「妄想」を生むのである。
「パラノイアは世界を認識し感じるためのひとつの方法である。」
パラノイドは私たちとは異なる存在領域で生きており、そこでは世界がわずかに傾いている。正常な意識はその違いを見抜き、 心の中の警報装置を鳴らす。パラノイドは別の思考様式に閉じこめられ、次いで独房ないし悪魔の巣にとらわれて、そこから周囲を 見渡しているかのように、世界を見る。この本は、そのような心の牢獄の訪問記である。
2024/10/11
「元朝秘史」―チンギス・カンの一級史料― 白石典之 中公新書
チンギス・カンの一代記は、ボルテ・チノ(蒼き狼)とコアイ・マラル(白き牝鹿)という霊妙な名前をもった人物の登場 で、印象的に幕を開ける。
「天の命により生まれたボルテ・チノがいた。その妻はコアイ・マラルといった。大湖を渡り、オノン川の源のボルカン・カルドゥン の牧地にやってきて、そこに住むうちにバタチカンが生まれた」
モンゴル高原東北部にある「ボルカン・カルドゥン(聖なる山)」を、古来信仰の対象としてきたモンゴル部族の、神話的な族祖伝説 から物語が語られていく。(中には、寡婦の母親が3人の弟を産んだことを訝しがる息子たちに、束ねた5本の矢を渡して団結を諭す、 元祖・毛利元就のようなエピソードまであったりする。)
バタチカンの子孫からは、次々に新たな氏族が枝分かれして、モンゴル部族はその勢力を拡大していくことになるのだが、数えて 20代目のキャト氏族の勇者イェスゲイ・バアトルが、他部族メルキトの男が娶ろうとしていた美しい貴女ホエルンを略奪し、 やがて男児が生まれる。タタルとの戦いで敵の領袖を捕虜にして帰ってきたところだった父イェスゲイは、勇敢な敵将の名にちなんで、 その子にテムジンという名を与えた。テムジン(鍛冶屋)という名前は、鉄が貴重品だった当時は重要な技能者を意味し、決して 悪い名前ではなかった。後にチンギス・カンとなる男が誕生したのである。
というわけでこの本は、ほんの導入部分をご紹介しただけでも生々しい挿話に溢れており、この魅力的で壮大な歴史絵巻のエッセンス を紹介しようとするものなのだが、<本書は『元朝秘史』の翻訳ではない>と断言する著者は、現地発掘調査に長年携わってきた 考古学者なので、新たに発見された遺跡や銘文資料などに基づき、800年という時の流れで湮滅してしまった地名を正確に比定し、 断片的にしか分かっていないチンギスの足跡を再現して、出来事のイメージを具体化するなど、歴史的・地理的情報による知見を ふんだんに取り入れて、物語の背景を解説しているところが、類書にはない新たな趣向だと自負しているのもうなずける快著なのだ。
弟妹も生まれ、自身は9歳で良縁がまとまり、有力部族の跡継ぎとして幸せな日々を送っていたテムジンを、父イェスゲイの敵対部族 による毒殺という悲劇が襲う。一族郎党の分散による困窮、新天地での家族からの再出発、やがてモンゴル高原中央を支配する部族長 の臣下となり、小集団を束ねる若きリーダーとして頭角を現す。
ここからは、部族間闘争による戦争と、新たに支配下に治めることになった民族の統治、そして豊かな国づくりのための施策実施と、 休む暇もないのだが、
戦争に当たっては、奇襲などの狡猾な戦術よりも、装備の軽量化や後方支援の仕組みづくりに力を注ぐなど、戦略家としての冴え こそがモンゴル帝国を支えたのだし、統治に当たっては、信教の自由を認め、多民族相互の融和を図る制度を導入したことが、一代で 巨大国家を築き上げることができた謎を解く鍵だったことがわかる。
蒼灰色の毛並みを輝かせながら、獲物を求めて広大な草原を疾駆した『蒼き狼』(@井上靖)の一代記を、ぜひアナタもお読み いただきたい。チンギス・カンの事績は様々な言語で残され、その著者には征服者側と被征服者側がいた。『元朝秘史』の作者は 不明だが、恐らく間近でみていた人物だろうという。
そう聞くと、チンギス・カン礼賛の書と思われるかもしれないが、じつはちがう。彼の喜び、悩み、涙、怒り、嫉妬、過ちなど、 人間臭い部分も包み隠すことなく記されている。そこが“秘史”たる所以かもしれない。
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