徒然読書日記
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2025/8/23
「文学の徴候」 斎藤環 文藝春秋
精神医学の側からみるとき、「キャッチャー」はほとんど古典的なテキストというべき位置にある。そう、第一章(境界例のドライブ−−柳美里)でも 述べた「境界性人格障害」について。(第七章「ライ麦畑」の去勢のために−−村上春樹)
というこの本は、「ひきこもり」を専門とする精神科臨床医・斎藤環が、その資格は持たないことを十分に自覚した上で挑んだ「文芸批評」の試みのようである。 著者が専門とするのは、天才や偉人の創造性を、精神医学というレンズを通して解析し、あわよくば診断もつけてしまおうという「病跡学」なのだが、ある種の 創造性が、何らかの関係性のもとで賦活されるさいに、作者が健常者であるか否かにかかわらず、作品が自動的に一種の病理性をはらんでしまう場合があり、それ を仮に「病因論的ドライブ」と命名し、その所在を探し続けることは、批評というより病態生理の解明であり、作品に生じた転移の解釈となるというのだった。
たとえば、斎藤がかねてから「解離」現象を頻繁にモチーフとして取り上げることに注目してきたという村上は、なぜサリンジャーを翻訳しなければならなかった のか。もしや、「キャッチャー」の過剰な同一化の流れに亀裂を挿入し、ある種の超越論的な余白を確保することで、サリンジャーの影響力を解毒する目的だった のでは?
<それはサリンジャーの去勢に他ならないのかもしれないが、小説の暴力に自覚的な作家の振る舞いとしては、十分すぎるほどに倫理的なものではなくて何だろう か。>
このうえなく閉じた、静かな世界を愛好していると一般に思われている小川の嗜好をみあやまるべきではない。彼女には、こうした「封印と増殖」をテーマと する作品がいくつもある。(第十四章増殖する欠損ーー小川洋子)
到達不可能であるがゆえに活性化される「欲望」に対して、欲動がその周囲を巡回している享楽そのものの具現化「サントーム」は、ラカンの重要なキーワード だが、「馴染み」と「反復」こそが本質であるファンタジー世界に、小川作品がついに収まることがないのは、「不気味なもの」が侵入するサントーム性が原因だ という。80分しか記憶を保持できない老数学者の、体中に覚書のメモを貼り付けた異様な風体は、サントームとして増殖を続ける欠損によってもたらされている。
<記憶が切断されるからこそ、博士の数学への欲望は、素朴な愛の形式として反復持続されるのだ。>
大江はかつて受けた屈辱的なエピソードを、創造の一つの源とするかのようだ。事実彼は、その種のエピソードを、必ずしも怨念や被害関係念慮には結びつか ない形で紹介することが多い。(第十八章「私小説」と神経症−−大江健三郎)
大江の後期の文体が「語る主体」から「語られる主体」へと変質し、「語られてしまったことを翻訳しつつ語る主体」となったのには障害児の息子の存在があるが、 つねに虚構の中に、実体験や実在の人物を取り込みながらも、作品として出力されたものはおよそ「私小説」には見えないという意味で、大江は特権的な作家 なのだ。
<病跡学的に考えるなら、大江健三郎は、まぎれもなく神経症圏内の作家である。そして神経症者であるということは、システムとしての循環的な生ではなく、 ある種の体験に固着し、ある種の行為の反復の中に置かれた生であることを意味している。>
といった具合に、総勢23名の作家が俎上に乗せられて、精神分析の概念で切り刻まれていくのだが、残念ながら暇人では太刀打ちできないような作家も 多かった。とはいえ、この「病跡学とメディア論」の中間に属するような、専門領域の境界線上で奮った大鉈の切っ先が、結局は自分自身に向かったようなのが 面白かった。
私自身は典型的とも言える分裂気質者である。情緒的な冷たさと孤独癖があり、体験の処理に際しては過去参照型よりは未来予測型で、微妙な変化や雰囲気に 過敏、このため常に一定のアンバランスな緊張のもとで生きている。
2025/8/22
「日本語教師、外国人に日本語を学ぶ」 北村浩子 小学館新書
外国語学習において、どのレベルを目指すか、満足するかはその人次第。だからこそ、日本語という外国語の山を登り続け高いところに行き着いた人 たちに、どんな景色が見えているのか聞いてみたいと思うようになった。
留学生をメインに、子供や外交官など様々な立場・レベル・年齢の人に、細々と日本語を教え始めて15年ほどになるという著者が、そんな願望を持ったのは、 <自分を表現できていると、どうしたら思えるのか、母語ではない日本語を「操っている」という感覚はどうやったら得られるのか>が知りたいと思ったから だった。
選ばれた相手は、韓国出身の歌手、イタリア出身の翻訳者、ベナン共和国出身の大学助教、ウクライナ出身の声優、ジョージア出身の駐日全権大使など、総勢 9名。流暢な日本語を駆使して日本で活躍しているそれぞれの、「今だから話せる当時のこと」を根掘り葉掘り訊き出した、これは日本語習得をめぐる「対話編」 なのである。
「間違えて笑われるのは、むしろチャンス」と語った韓国出身のKさんが、来日当初から<絶対日本語で話す>ことに徹したのは、自分の口で伝えたかったから という。人との距離を縮めたいと望み、自分の気持ちを正確に伝えるにはどうしたらいいかと考え続けてきたことが、Kさんの素晴らしい日本語につながる結果 となったのだ。
「日本語で話している時の自分と、イタリア語の自分は人格が違います」と答えたイザベラさんも、初めから母語に逃げ込まず徹底的に「日本語で生活」して いた。日本での記憶、経験が全部入っている自分の日本語は、「ただの言葉」「外国語」ではなくて、そこには日本での時間を日本語で生きてきた自分がいる というのだ。
「自分の頭の中に『理想の日本語』があるんです」と言ったのはべナン出身のエマヌエルさん。自分が言っていることをもうひとりの自分が検証している感じ らしい。気持ちと完全に一致した表現が思い浮かばないというもどかしさが、現在取り組んでいる「ヒトの言語学習を支える会話システム」の研究につながって いるようだ。
「語彙も文法も、全部含めて、聞きまくって覚えた」というウクライナ出身のディマさんは、なぜ話せるのかよく分からないが、自分の「耳がいいのかな」と 言う。日本語は「声の芝居」の自由さが母国語より圧倒的にあるから、話し下手な自分を表現するなら日本語しかないと思った。それが日本語の声優を目指した 理由だった。
「日本語は『流暢に話せる第二外国語』という位置づけだ」と語ったのは、レジャバ駐日ジョージア大使。自分にとってのこころの言葉はジョージア語なのだ という。日本語は配慮のある言語なので、仕事をする上では使い勝手のいい言語だが、丁寧な言葉を使って「話せる」だけではコミュニケーションとは言えない と指摘した。
などなど、どのインタビューにおいても、質問している日本語教師の方がびっくりすることばかりの、日本人では気づかない「日本語らしさ」ネタが満載である。 自分は外国語を操ることができず、日本語しか使えないので、生徒がどんどんうまくなっていくと、自分は自分よりも能力のある人たちに教えているのだと痛感 する、そんな著者なればこその、溢れんばかりの「リスペクト」の気持ちが相手にも届いて、日本語について日本語で語らねばならない外国人の緊張を解き ほぐしたようだ。まさにこの本は、「外国人に日本語を学ぶ」という姿勢が生みだした、興味津々の対談集なのである。
わたしはときどき学習者に伝える。あなたを尊敬していますよ、と。驚かれることもあるが本心だ。外国語を手中のものにしている人は格好いい。それは 途中で挫けず、学び続けたことの証拠だから。
2025/8/19
「世界は私たちのために作られていない」 Pワームビー 東洋館出版社
あなたが私と出会ったとしても、あなたは何一つ疑うことはないだろう。あなたの目が私の顔を精査する。あなたの耳が私の声を聞く。その時、警告音 がなることはない。
あるいは・・・
あなたが私と出会ったなら、すぐに気づくだろう。あなたの脳はちょっとした違いにも敏感で、あらゆるしぐさを見逃さない。・・・ああ、本当にささやかな パニックの痕跡。
<簡単に言ってしまえば、理解できるかどうかはすべて、ASD(自閉スペクトラム症)であるか否かによって決まる。>
というこの本は、ASD者として生まれながら、34歳になるまでその事実をずっと知らずに生きてきた元英語教師が、自らの実際の経験に基づきながら、ASD に関する誤った通念、不完全なニセ情報、古臭いステレオタイプのすべてと、リアルなASD者の生きた体験談とを比較し、説明してみせたものである。
ASDでない人たちは、生まれた瞬間に「人付き合い」というゲームのルールやガイド、ヒントやコツがぎっしり詰まった便利な説明書みたいなものを自動的 に与えられているように見える。
<私たちASD者は何も与えられず、一切の援助もなしに「ルール」の全貌を把握するように放置される。>
そんな手探りの世界に放り出された著者が、何十年もの間変わらぬ仮面をつけ続けながら、何から何まで一人で見つけ出したのは、たとえばこんなルールだった。 「もし誰かに好意を抱いても、知り合いでないなら無視する。友達になりたての頃は無条件に優しくして、本格的に親友になったらひどい扱いをする。」それらは 克服するのが難しいほど驚愕の新事実ばかりだったが、徐々に意味不明の定型発達の世界のルールを理解し、うまいこと生き残れた、でも疲れたと述懐する。
<「最近どう?」とひっきりなしに聞いて、相手の答えをちゃんと聞かないのが友情を育むいちばんの方法だなんて、そんなことがなぜまかりとおるのか。>
少々苛立っているASDの人間から見れば、これらはすべて不合理としか言いようがない。そしてはたから見れば、きっと私の言動のほうが奇妙に見えること だろう。
薄暗い屋内でサングラスをかけている人を見かけても、私たちがただのキザな奴だと思ったりしないのは、社会全体に目の不自由な人びとへの理解があるからだ。 だったら、公園のベンチに座ってゆらゆら揺れるなど、自己刺激行動をとっている人がいても、恐れたり避けたりするのではなく、「ASD」だろうと思えば いい。それが著者の夢見る世界であり、実践的かつ有益なやりかたで、そういう世の中になるために働きかけることが、この本の狙いなのだという。
<困難な会話>、<仮面をつける>、<メルトダウン>、<電話恐怖症>、<病院の受診>、<共感力>、<発達凸凹>、<金銭管理>などなど。ASDという 隠れたマイノリティとはどういう存在なのか、もっと知りたいと思っている世の中すべての定型発達者にとって、これは格好の取扱説明書なのである。
私は「定型と異なる脳をもつ人」(ニューロダイバージェント)と「定型発達者」(ニューロティピカル)の両方の言葉をよく知っている者として、対話を 仲介する役割を担うつもりだ。
2025/8/1
「本心」 平野啓一郎 文春文庫
<母>は、授業参観にでも来たかのような佇いで、僕を背後から見つめながら立っていた。ブラウンに染めた髪も、歳を取って丸みを帯びた肩も、 普段着にしていた紺のワンピースも、何もかもが同じだった。
「・・・母を作ってほしいんです。」
2040年、二人だけの家族だった最愛の母を喪った29歳の石川朔也は、仮想空間の中にVF(ヴァーチュアル・フィギュア)の母を製作してほしいと依頼 する。写真と動画、遺伝子情報、生活環境、各種ライフログ、友人や知人の紹介、さらには口癖や趣味など、生前のすべての資料を提供してまで、母との再会を 願ったのは、息子に看取られながら<自由死>したいという望みを認めようとしなかった朔也が上海出張中に、事故死してしまった母の「本心」が知りたいと 思ったからだった。
カメラ付きゴーグルによる遠隔操作で、依頼主の身代わりの<身体>となって疑似体験を提供する、リアル・アバターという職業に従事している朔也は、初めて 母からの依頼を受けて伊豆の河津七滝へ出かけ、「やっと、朔也の仕事がわかった。」という言葉の後に、「ありがとう。もう十分。」と打ち明けられたのだ。 3年前にそんな<自由死>の願望を口にした母の、VFのモデルを死の4年前に設定することにした朔也は、VFの<母>に一体何を求めていたのだろう?孤独 を慰めるためにただ優しく微笑んでもらいたかったのか、本当に本心を語ってもらいたいのか。たとえそれが自分を一層深く傷つけることになったとしても ・・・
母への呼びかけ以外には、決して口にしたことのなかった「お母さん」という言葉を、母のニセモノに向けて発しようとすることに対し、僕の体は、ほとんど 詰難するように、抵抗した。
<それによって、ニセモノになるのは、お前自身だと言わんばかりに。>
こうして、母の思い出で描かれた短い映画の中にいるかのようなVFの母との生活は始まり、過去の記憶を確認し合うことで、<母>の居場所は築かれていった。 「お母さん、そんなこと言わなかったよ」「そうね。ちょっとヘンだったわね」と日常会話の違和感を解消しながら、膨大なライフログの学習で成長していく <母>。「“自由死”についてどう思う?」という思い悩んだ末の問いかけに、戸惑い、返答できなかった<母>に感情を昂らせ、ヘッドセットを放り投げて しまう朔也。
前夜のやりとりを消去するために、母の性格を復元ポイントまで戻すことも考えたが、思い直した。僕だけが、あの悲しいやりとりを記憶していて、<母>の 中から、その記録が消えてしまうことは寂しかった。
実は、ここまではこの物語のほんの導入部に過ぎず、母の職場の若き同僚・三好との同居生活や、アバターデザイナー・イフィーとの出会いなど、話題てんこ盛り で、ついには、母がかつて憧れていた小説家の証言から、衝撃の事実に辿り着くことになるのだが、そこらあたりはぜひご自分でお読みいただきたいと思う。暇人 としては、これまで知ることのなかった母の「本心」に少しずつ触れながら、自分自身の生きる意味を問い直していく部分だけで、十分満足の一冊だったから。
僕が母の“自由死”の意思を、闇雲に拒絶することなく理解し、その話に耳を傾けていたなら、その時こそは、母は“自由死”の意思を翻していたのでは なかったか?・・・
<そうなのだろうか?――わからなかった。それを知っているのは、母だけだった。>
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