徒然読書日記
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2025/10/31
「ザ・藤森照信」―総勢100名による徹底研究 歴史・設計・人間― エクスナレッジムック
アイウエオ順に答えるのは質問者に失礼だし、それより何よりアは安藤さんで、イは石山さん、伊東さんになるはずだから、この3人の強力質問パンチ でダウンは必定・・・
というのは、『明治の東京計画』で<建築史家>としてのデビューを果たしながら、神出鬼没の<建築探偵>を名乗って日本中の普通の建物を探索する活動を 続け、「現代建築競技場を逆送する」異能を発揮して、普通の人々からの絶大な支持を受ける人気者の<建築家>として一世を風靡した建築界の二刀流・藤森 先生が、安藤忠雄、石山修武、伊東豊雄、隈研吾、内藤廣、西沢立衛、原広司などから寄せられた15通の質問状に、「とにかく来る球は打ち返し」て見せた ものである。
問 藤森先生の建築はいわゆる現代建築史の流れと意図的にはずされているように見えます。ご自身の建築は歴史の<外>にあると思われますか? (安藤忠雄)
答 現代建築史の<内>にいて、少し向きのちがった設計をしている、との自覚をずっと持ってきた。でも、それはそう思いこんでいるだけのことかもしれない。
問 安藤と並ぶ国民的支持を得るに違いない。秘かに私はそう願っている。同時に、危ないぜ照信とも思う。この国の多数には時に背を向けた方が良い。 (石山修武)
答 10代のケツで、若気のいたりもあって、歴史研究へと退却戦を始めた時から、多数派とは根本的に切れてますので心配無用。
問 教えて下さい。近代主義建築の矛盾を見てしまった、でも頼るべき田舎も自然もないことも知ってしまった建築家に、この先のあるべき建築を。 (伊東豊雄)
答 伊東は路線を変更し、モダニズムが脱ぎ捨てたテーマ、たとえば装飾性を意識して追及し始めているが、その方向の先がどこにつながるのか見えないん だろう。
という問答(引用は要約)からだけでも、大衆性を意識したことはない自分の作品が、普通の人の思わぬ関心を呼ぶことに、藤森が戸惑っているようなのが 面白い。
問 「保存しますか、それともあなたのデザインで建て直しますか」と問われた時、建築家と歴史家とを「兼ねる」藤森さんならばどちらを選びますか。 (隈研吾)
答 「歌舞伎座」の建て替えの設計をお願いしますと言われたら、私の中の建築家は迷うだろう。が、あの領分は<ふつう専門>の隈がいいと、隈研吾を 紹介する。
問 建築という言葉の定義について、またその言葉の指し示す範囲について、どうお考えですか。アーキテクチュアという言葉は同義ですか。(内藤廣)
答 私の今の関心は、領分や国や文化によってちがってしまったさまざまがまだ分化する以前までたどりつきたい、そこまで遡ってから作ってみたい。
など、寄せられた質問の多くは建築家と建築史家の二刀流という、きわめて今日的で、世界的にみても興味深い、藤森のポジショニングに関するものである のだが、
藤森さんの建築は、たいへんユニークで、現代建築の多様性の一端を築いています。が、一方では、20世紀前半の建築活動をぬかしたところに出現した 建築のようでもあり、文人的な建築のようでもあります。
そうした印象は、歴史家である藤森が使うヴォキャブラリィから来ているのではないか、という原広司からの「表現者としての歴史認識」への問いに対し、 「大事なコンセプトはいつも原先生から教えられて大人になった」と吐露する建築小僧・藤森照信の真摯な回答こそが、この問答集の白眉だったように思う。
<おそらく私は過去に向かって創造をしており、この屈曲が事態をわかりにくくしているのだ。>
私の建築表現が、過去とも現在とも、解釈とも創造ともつかないヘンな状態にあり、そこに大きな疑問と少しの困惑を覚えて、先のような共通した質問が 出てきたに違いない。
2025/10/25
「言語の七番目の機能」 Lビネ 東京創元社
ロラン・バルトは周囲に目もくれず足早に歩いている。しかし、彼は生まれながらの観察者なのだ。その本分は監察し分析することであり、その 全生涯を通じてありとあらゆる徴候を見逃さないように気を配ってきた人なのに。
<15分後に、彼は死んでしまう。>
1980年、文芸批評の世界にまったく新しい方法論をもたらした記号学者のロラン・バルトが、横断歩道で軽トラックにはねられたことが原因で死亡した。 というのは紛れもない史実だが、その当時そこに事件性を疑う者など誰もいなかった。しかし、35年も経ってから奇妙奇天烈な想像世界に仕立て上げてみせた のは、処女作
『HHhH―プラハ、1942年―』
で、 私たち読者を震撼させてくれたビネだった。(第3作目の
『文明交錯』
は既にご紹介済みである。)言語学者ロマン・ヤコブソンの未発表論文「七番目の機能」を入手したらしいバルトから、それを密かに奪い 取ろうとする勢力により仕組まれた謀殺だったというのだ。
<バルトはエコール通りを横断しながら、自分のことを相対性理論について考えているアインシュタインのように感じていたのではないだろうか?>
この論文を巡る物語の肝が、口論型ファイト・クラブのような秘密結社<ロゴス・クラブ>が主催する弁論大会なのだが、そこはご自分でお読みいただきたい。 例によって、登場人物のほとんどが実在の人物で、しかも今回はフランス現代思想界を代表する綺羅星のごとき面々が、言語にまつわる蘊蓄を闘わせてくれる。 ソレルス、クリステヴァ、アンリ=レヴィ、アルチュセール、ドゥルーズ、ガタリ、ラカン、それに加えてミッテランやジスカール・デスタンとその取り巻き まで。精力絶倫の怪物フーコーや、墓場で犬に喰い殺されるデリダなど、ここまで書いてしまって、訴えられたりはしないのかと心配してしまうほど風刺も 強烈なのだが、
<僕が心配しなかったのは、バルトが実際は殺されていたかもしれないなどと信じる根拠がまったくなかったからです。だから僕は思い切って、誰も真実だ とは思えないような奇想天外な出来事を創作したんです。>
そんなわけでこの本は、読みようによっては格好の「記号学入門」の書ともなるようなのだが、まるで初心者なのでと尻込みされるような方もどうぞご心配なく。 この物語の狂言回しともいうべき主人公、フランスの警視ジャック・バイヤールも「エピステーメーだと、知るか、そんなもの」と、まるでお手上げなのだから、 ぶつくさ文句を垂れながら相棒に選ばれだ、大学で記号学を教えている教師のシモン・エルゾグの導きで、武闘派担当として何とか「謎解き」に挑んでいく のである。
パリから、ボローニャ、イサカ、ヴェネツィア」、ナポリへと、舞台が移るたびに明らかになる新事実と深まっていく謎。物語の裏でもつれ合う様々な思惑。 秘密結社<ロゴス・クラブ>とはどのような組織なのか?「言語の七番目の機能」とは、いったい何のためのものなのか?
<本書こそ最もバルト的かもしれない。>――NYタイムズ書評
本書内では唯一人「好意的?」に描かれているような気がするエーコの、世界的ベストセラー「バラの名前」にオマージュを捧げたという、これは「謎の文書」 を巡る極上のミステリーの逸品なのである。
2025/10/19
「青いバラ」 最相葉月 小学館
大切なことを聞くとき、人はあらかじめ、期待する答えをもっているものだ。青いバラをつくろうだなんて邪道だ、くだらない質問をするなと泰然と 答えてくれるものだと想像していた。
「ブルー・ローズ」を英和辞典でひくと、「不可能、ありえないもの」とある。この世にはない青いバラは、数多の人々の想像力を喚起し続ける禁断の花だった のだが、1998年、遺伝子操作で青いバラができるかもしれないという新聞記事を読み、「あなたは、青いバラをつくりたいと思ったことはありますか」と、 海外のバラ育種家ならその名を知らぬ者はない“ミスター・ローズ”鈴木省三を隠棲宅に訪ね、青いバラへの思いを訊いた時に返ってきたのは、予想外の答え だった。
「青いバラができたとして、さて、それが本当に美しいと思いますか」
というわけで、その意表をつく着眼点の新鮮さと、決して期待を裏切ることのない抜群の取材感覚を発揮するルポライターが、話題作『絶対音感』の次に ターゲットとして狙いを定めたのは、遺伝子操作の話題で盛り上がるバイオテクノロジーの世界だった。(古い本で申し訳ない。この後の
『東京大学応援部物語』
『星新一』
『セラピスト』
などは以前にご紹介済みで、 彼女は暇人の大好きなライターの一人なのである。)
遺伝子を操作してバラを青くするというニュースに違和感をもち、少し考える時間が欲しいと思った著者は、日本に西洋のバラが定着するまでの前史から 掘り起こし、やがて、商品化できれば世界的ヒット間違いなしの、青いバラの開発にしのぎを削る企業群(多くは薬品会社)のバイオ革命戦線の実況へと 移っていくのだが、閑話休題として差し挟まれる、ミスター・ローズとの対話のパートが、日溜まりの縁側で老人の茶飲み話を聞かされるような、絶妙の味を 醸し出している。
「青いバラが不可能を意味するというのは、今に至るまでいろんな努力をしてきた人々がいたということです。」
「ブリーディングというものは、その花のどういうところに欠点があって、どういうところを長所として次の世代に残せるだろうかと始終考えること なのです。」
「僕は、日本人にもバラをつくっている人間がいるということだけでも伝えたかった。日本人は野蛮人じゃないということを・・・」
夢の技術の象徴として、バイオ革命、IT革命とかつてないほどの転換期であるこの世紀の変わり目に、再び現れたのが「青いバラ」だった。青いバラができる 前に与えられた立ち止まる時間の中で、できうる限りの問いを発して科学技術と人間の営為とをつなぐ言葉を探した、これは手探りの記録なのである。
不可能という意味をもたされた青いバラとは、過去を忘却の河に放たぬための最後の堰であり、迷い道に立つ人に、人と人、人と動物、人と植物との関わり を気づかせるための道標だったのではないかと思えてならない。
<そして、今、改めて読者に問いかけたい。青いバラができたとして、それは本当に美しいのだろうかと――。>
(注記:青いバラは2009年にサントリーからアプローズという名前で商品化された。花言葉は「夢叶う」。)
2025/10/9
「ユダヤ人の歴史」―古代の興亡から離散、ホロコースト、シオニズムまで― 鶴見太郎 中公新書
日本でも世界でも、ユダヤ人のイメージは独り歩きしやすい。そのイメージはたいてい次の2つのいずれかに集約される。一つは、がめつい人びと。 もう一つは、かわいそうな人びと、である。
<この2つのイメージは、ユダヤ人の歴史を捉える際の2つの基点を示してもいる。>
王や将軍など「自分」を中心とした記述と、経済状況や政治制度などを重視した記述と、歴史学では古くから「主体か、構造か」という問題が議論されてきたが、 歴史の大半の部分や大半の地域でマイノリティであり、構造に規定される局面が非常に多かったユダヤ人は、さまざまなものと組み合わさって、自らも変容を 遂げた。
<「ユダヤ人の歴史」の見どころは、ユダヤ人が構造と格闘したり、構造を前提にしてそれを活かす道を考えたり、複数の構造を組み合わせて第三のものを 作り出したりするような、「主体と構造」が織り出す局面だ。>
というこの本は、ユダヤ史の専門家である著者が、3000年以上に及ぶユダヤ人の通史を、一般読者向けの一冊にまとめようと試みた勇断の試みなのである。
オリエントの多様な人びとが組み合わさったり巡り合ったりしながら、形成されたユダヤ教の原型が形成され、王国が築かれていくことになるのだが、 それが征服され、強制移住させられたりするなかで、その核心部分が一神教という形で鍛えられていき、聖書としてまとめられていった<古代>。
拠点としての王国を失いながら、譲れない一線は引きつつも自らも変化させることで、周囲と自集団がお互いの特徴を維持しながら共栄する組み合わせを 見いだし、世界のユダヤ人の9割が、ヨーロッパ世界がむしろ外敵と位置づけていたイスラーム諸国に暮らすことになった<古代末期から中世>。
ディアスポラ・ユダヤ人のなかのさらなるディアスポラ集団として確立したスファラディーム(スペイン系)とアシュケナジーム(ドイツ系)。 彼らが共有してきたユダヤ教の非公式的な側面が再び融合しながら大衆化した結果、神秘主義的なユダヤ教の一派が形成されることになった<近世>。
キリスト教的伝統を背景とした金持ちないし特権階級への妬みといった意味合いがもっぱらだった反ユダヤ主義が変質していき、貧しい移民に対する嫌悪や、 民族対立を意識した憎悪などによるポグロム(暴動・虐殺)、そしてホロコーストという世界史上最悪の悲劇が生まれた<近代>。
ホロコーストにより1700万人のうち600万人が死亡し、ユダヤ人の人口の中心は450万人を擁していたアメリカに移ることになったが、72万人とは いえ主権国家と定義されるものとしては史上初めてイスラエルが建国されると共に、ソ連にはまだ20万人のユダヤ人が残っていた<現代>。
<マイノリティとしてのユダヤ人は圧倒的な構造を前に黙ってそれに従うのではなく、構造を理解し、自らの特性が活かせる隙間にうまく入り込むと言う意味 での主体性を発揮してきた。>
著者がむすびで取り上げた、ユダヤ現代史の3大拠点を生きる3名のユダヤ人、ゼレンシキー、ネタニヤフ、ケイガンへの論評が、秀逸なまとめとなっている。
世界史上の大きな出来事の現場にユダヤ人はしばしば居合わせている。そうした現象の表層にだけ囚われると、ユダヤ人が裏で手を引いているのではないか、 という陰謀論が語られる。
<ユダヤ人の特性が活かせる「組み合わせ」を探求し続けたのがユダヤ人の歴史であることを鑑みれば、そのような神出鬼没ぶりは決して不自然なことでは ない。>
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